可視光通信

可視光通信の世界―LEDで拓く「あかりコミュニケーション」 (ケイブックス)

可視光通信の世界―LEDで拓く「あかりコミュニケーション」 (ケイブックス)

可視光による通信を考える本。
可視光通信とは、照明器具等を変調して情報を伝えるという通信。LEDをパルス変調するなどの方法があるらしい。
例えばあらゆる照明器具が情報通信インフラになるとすると、可視光通信潜在的な成長の可能性は凄まじいことになるが、よくよく考えてみるとなかなか使いどころが難しい気がしてならない。
照明器具というのはそこらじゅうにあるが、情報発信中は点灯する必要がある。これは通信媒体が可視であるという利点があるが、照明機能と同時にしか使えないということになる。
また、照明器具を仮にインターネットの下り通信手段として使うことも考えられるが、そうするとその照明器具とWANの間はどうするんだという話になる。これは電力線通信と非常に相性が良い気がするが、2.4GHz帯域等の無線でやってもよい。無線の電波を張り巡らせるなら最初から照明器具通信いらないということになる。
どうしても使いどころが難しいという悩ましさがある。
だが、可視光通信を有意に使っている分野としては、海中でダイバー同士の通話に可視光通信を使うというものがあった。
参考URL http://www.ouvc.jp/
水中では電波は減衰が大きいが、可視光域なら比較的透過性は高いという特性をうまく利用しているようだ。

津波研究のT氏に会う

津波研究の起業家T氏に会った。やはり3.11以降は業界がよく「動いている」らしい。ニュースでもよく言われているが「地震学会は3.11に完敗」だとの話もあった。
2件の豆知識を入手。

その1. 津波の遡上高は実際の津波の深さとは異なる

遡上高さは最大到達点の海抜高度とのこと。ややこしいがそのまま。

その2. 3.11の津波のエネルギーは、200km x 500km x 10mの水塊を10m移動させるエネルギーに等しい

詳細は定かではないが、とりあえず200km x 500km x 10mの水が10m分の位置エネルギーを持ったと考えてみよう。
注:eは指数を表します。5e4は5かける10の4乗。3e8は3かける10の8乗

移動した海水の体積Vは
V = 500[km] x 200[km] x 10[m]
= 5e5[m] x 2e5[m] x 1e2[m]
= 10e12[m3] = 1e13[m3].


海水の密度をρ = 1000[kg/m3]=1e3[kg/m3]として移動した海水の質量Mは
M = ρV
= 1e13[m3] x 1e3 [kg/m3] = 1e16[kg].


重力加速度を g = 10[m/s2] として海水が鉛直上向きに h = 10[m] 移動した場合の重力ポテンシャルEは
E = Mgh = 1e16[kg] x 10[m/s2] x 10[m]
= 1e18[Nm] = 1e18[J].


因みにwikipediaの記事によると、東北の地震で開放されたエネルギーは M9 = 2e18[J]なので、概算でいえばその半分のエネルギーが海水の移動のエネルギーに変わったことになる*1

*1:厳密に言えば、海水に速度も与えているし密度も1000[kg/m3]ではないのだが、元々の仮定(500km x 200km x 10m)が概算なので厳密な計算は無意味ですね。

戦前と土木のお話(3)

教科書には載っていない!戦前の日本

教科書には載っていない!戦前の日本

三冊目。ファミマで発見。

ここから内容のまとめ
まだ書いてないよ。

続くかも?

戦前と土木のお話(2)

二冊目の本はコンクリートのお話
あまりにマニアック過ぎてアフィリエイトにも非対応という非人道的な仕打ちをはてなダイアリーから被りながらの執筆になる。従って、Amazonのページに直リンクするより手段が無い。土木事業が基本的な社会基盤であるという書籍を読み終えたばかりなので、コンクリートに対する「萌え」が発露するのは日本男児としての当然の帰結と言える。今回は備忘録という意味合いが強く、本書の中を要点のみまとめてあり、所感もへったくれもないことを予め断っておく。

セメントの水和反応

セメントベースの構成比率

セメントペーストのみでは高価である。
そのため、細骨材、粗骨材を追加する。
骨材は乾燥収縮、ひびわれ、クリープなどを抑制し、増量材だけでなく、品質改良の役割を担う。






劣化

セメントの劣化には主には次のようなことが原因となる。
びわれ、中性化、凍害、塩害、

びわ

荷重、地震オーバーロード、材料的性質、製造、運搬、施工不良などがひびわれの原因となることがある。

補修は、エポキシ樹脂をひびわれの注入して、雨水や炭酸ガスの浸入を防ぎ鉄筋の腐食を防止します。

中性化

水和反応終了時に、セメント水和物と二酸化炭素とが結合して炭酸化合物を発生させる現象。
鉄筋の発錆により郷土が低下する。

凍害

コンクリート中の水分が凍結溶解を繰り返しひびわれや劣化損傷がおきる。

塩害

コンクリート中に混入あるいは浸透した塩化物イオンによって鋼材が腐食し、その錆の膨張力によってコンクリートにひび割れや剥脱が生じる。

コンクリートの種類

鉄筋コンクリート

コンクリートは圧縮強度は高いが引っ張りやせん断郷土は圧縮強度に比べて低い。
コンクリートと鋼材の熱膨張係数がほぼ同じ。
コンクリートの弾性係数に比べて鉄筋の弾性係数が約15倍であり、引っ張り応力はほとんど鉄筋により負担される。
コンクリート中は通常アルカリ雰囲気であるために鉄筋の腐食が生じない。

鋼管コンクリート

鋼管そのものが構造部材であり型材である。工程が単純、迅速、省力化が可能。
内部のコンクリートの酸性化や塩害をうける恐れがなくなる、鋼管の腐食防止や耐火被覆が必要。

プレストレストコンクリート

部材にあらかじめ応力を導入しておく。あらかじめ圧縮応力を与えておき、引っ張り強度を工場させたもの。

戦前と土木のお話(1)

先日は余暇を持余すあまり、突然の思い付きにて広島〜呉行脚に行ってきた。

さて写真は呉で定番の大和ミュージアムである。広島市内の平和記念館があまりにも主義主張に一貫性が無く要するにぐだぐだ啓発的な内容だったので大和ミュージアムは如何なものかと期待していたら、戦前の製造業の集大成とも言うべき大和の完成度の高さに驚かされる。つい先日には大和の部品である太陽炉が新エネルギーの研究に利用されるというニュースがあり世間の注目を集めたが、太陽炉以外にも画期的な技術が多数導入されたという解説がなされていた。

参考:太陽熱でマグネシウム電池再生宮崎の東北大施設で研究

大和ミュージアムにおける主張は「大和を作った戦前の日本の技術が如何に素晴らしいものであったか」ということである。そしてその集大成が大和であり、今日の日本の技術の基盤でもある、とその主張は帰結する。
というわけで戦前の日本を論じた本を二冊ほど入手したので書評を始めてみようと思う。

戦前の国土整備政策

戦前の国土整備政策

一冊目。表紙をめくると時代は明治維新である。物語の出発点は東京遷都であった。首都選定にあたり、地理的に候補となりうる土地は2つしかなかった。即ち、東京若しくは大阪である。利根川水系の広大な沖積低地に属する関東平野か、第五位の沖積低地面積でありながらも琵琶湖の存在により豊富な推量を湛える大阪平野か、と2つの候補地が挙げられた。当時は大阪が物資輸送の全国ターミナルであり日本経済の中心であった。しかし横浜港の国際貿易上の重要性を鑑みて、東京が首都と定められた。内務卿大久保利通の判断である。
それを起点として、鉄道、電信・電話、河川・水利、築港・道路、上下水道といった社会基盤の整備が国家プロジェクトとして推進されていったのである。これらの社会基盤による近代化が、日清・日露戦争の勝利にも繋がっていったのである。更には第一次世界大戦でヨーロッパの先進工業諸国が主戦場となる中で日本経済は漁夫の利により活況を呈した。重化学工業が発展し、京浜、阪神、中京、北九州といった四大工業地帯が形成されたのである。
時代は進み1923年、関東大震災にて日本経済は打撃を受け、不況の時代へと突入する。追い討ちをかけるように、1927年金融恐慌、1929年ニューヨーク・ウォール街での株式大暴落が起こる。
さてそのとき経済政策はどうか。31年2月には高橋是清が大蔵大臣に就任する。日本経済は金本位制度から脱却し、管理通貨制度に移行し積極的な財政支出を行う方針に転換した。軍事支出、及び32年〜34年に行われた時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)により財政支出は拡大する。この時局匡救事業は積極的な公共投資によって景気回復を図るというケインズ政策を先取りしたものとして評価されている。だがその一方で「『道路が村はずれで行き止まりになっていたり、半分彫りかけの用水路が残骸を曝すというようなことも多かったようである』との批判も見られる(本書P42)」とも書かれている。
この事業では産業インフラとしての道路の整備が全体額の6割弱を占め、そのうちの1/3が国道整備事業であった。またその他河川や港湾を整備する事業が行われた。この事業は全国津々浦々で実施された。当該事業の評価だが、景気は32年度から回復基調となり農村の景気回復に貢献したと本書では評価されている。
景気は35年ごろから立ち直り、大陸における軍事活動を背景として重化学工業の発展が課題となった。重化学工業の動力源として、且つ国家による経済統制のための電力の国家管理として水力開発が最重要課題として浮上する。工業用水と電力確保、生活用水といった広範な目的を達成するために河水統制事業及び電力国家管理方が成立した。勿論これには米国のTVAに代表される欧米の事例が大きな影響を与えた。実際のダム施工にあたっては、米国の技術を学びながら米国から重機械を購入することで進められた。
本書の後半は戦後の社会基盤整備についても触れ、戦前との連続性について言及している。例えば、「高度経済成長を支えた臨海部の埋立地を中心とする工業地帯の整備も、戦前、すでに計画されていた。(本書P345)」とあるし、「また輸送面における高速鉄道(新幹線)、高速道路も構想の段階にとどまらず詳細な計画が寝られ、部分的にだが高速鉄道は着工され、高速道路は実施調査が行われていた。(本書P345)」とある。戦後はアメリカから導入された銃土木施工機械でもって戦前の知恵をおいしく頂いたに過ぎないのである、と筆者は言う。このように筆者は敢えて皮肉じみた表現を用いているが、戦前と現代との間の連続性が世間に正しく認知されていないという歯痒さの表れのように見える。
上述の通り、本書は大久保利通の国土計画から始まって、その後は高橋是清の政策に力点が置かれている。治水や交通といった基本的なインフラが社会基盤が如何に重要であるかということを認識させられる。社会基盤無くしては社会活動は有り得ないのである。このことはOSI参照モデルを思い起こさせる。要するに治水やらの土木事業は古臭い旧世代的な印象を与えるが、OSI参照モデルで言えばの下層に位置するものであり、そういった社会インフラ無くしては情報産業やらの最先端も成り立たないわけだ。

余談だが、田中角栄高橋是清でググってみた。共通点を見出している論説は多いようだ。

まだまだ続く。

続編へ

本は物である。

まずこれ。何某のソーシャルネットワーキングサイトに書いたやつ。

オープンソースワールド

オープンソースワールド

インターネットの存在がLinuxの急激な進化を可能にした!まさにその通りである。世界中の支援者達が挙って開発に力を貸したのである。オープンソースは信頼性の低いソフトではない。幾多の人間の目によって精査されたソースコードの塊なのである。オープンソースというビジネスモデル、それは天地が逆転するような発想だ。

はてさて「天地が逆転するような発想だ」と言い切るあたり我ながら若人の文体だ。だがまあ今回着目すべきはそこではなく、この書評は話題を電子書籍に強引に誘導するための導入文であることを白状しておく。
本書の内容のかなりの部分はweb上で読める。この著者も本で読もうがディスプレイで読もうが読者の自由だと宣ひている。個人的には本の方が読みやすいわけだが、昨今のAmazon Kindle出現などといった世相を勘定すると、「本」という「物」の地位も潮流が変わりつつあると実感させられる。などとまあ電子書籍の話題がHOTな時を見計らったかのように一冊の本が懐に飛び込んできた。
それがこれ。

本は物である―装丁という仕事

本は物である―装丁という仕事

まあ一言で言うと、面白い。筆者の仕事は装丁(そうてい)、一言でいうと製本をプロデュースするということ。製本されることにより、単なる情報の集まりが「本」という「物」になるわけだ。要するに「本と電子書籍は根本的に違います!」てなわけでタイトルがそのまま電子書籍へのアンチテーゼだ。
電子書籍に対して世間の態度はどうだろうか。あるものは「本などレガシーメディアに過ぎない。これからの情報化の時代では製本の仕事が縮小して当然だ!」と傍若無人な罵倒ぶりを誇示し、またあるものは「本で読まねーと覚えられねー。電子書籍が全盛になっても俺は本を買い続けるね!」と愛を叫ぶ。存亡の危機に曝された装丁屋からすると、読者はなんとも自由で無責任な人種に見えることだろう。
天に唾棄し地に嘯く自由を与えられた読者とは裏腹に、本書の冒頭に書かれている通り電子書籍化の波は装丁屋にとっては死活問題だ。ならばコンピュータ技術が本の敵だろうかというとそうでもない。例えば本の表紙のデザインひとつとっても今や電子化されたツールを活用しなければ仕事にならない。電子書籍は黒船的存在だが、最早コンピュータ抜きでは装丁屋は仕事が出来ない。勿論筆者自身もそれをよく理解しており、コンピュータ技術には敬意を払いながら論を進め、徒に電子書籍を卑下したりはしない。それでもまあ文字情報の電子化については幾つかの痛烈な皮肉を述べているわけだが。
さてその痛烈な皮肉ってやつの内容を紐解いてみようか。本書には次の引用節がある。

初期キリスト教において、書物が「巻物」から「冊子体(コデックス)」に写ったのは、パピルスからパーチメント(羊皮紙)へ、という基底材の変化のためばかりではない。「ローマ政府から禁じられた文献を、衣服の中に隠して持ち歩くのに好都合」で「ページ番号が付されていたので、読者は読みたい箇所を簡単に探し当てることができた」(『読書の歴史』あるベルト・マングェル)からなのだ。
(『書物について』清水徹、89ページ)

しかしながら「冊子体(コデックス)」の流れに逆行するようにwebや電子書籍の世界ではページ概念の消失が進んでいる。中には縦書き横書きの表示や文字の表示サイズが自在に変えられるといったものもある(後述のiPadのことだ)。twitterに至ってはなんだ。まさに木簡・竹簡という極めて旧世代的なテキストに逆戻りしているのである。それが大受けして人的ネットワークの構成手段ともなっているのでほんま何があるかわからんわ。おっと失敬、本書はそこまでは言っていない。
いくら皮肉を言ったところで、出版業界における問題点も垣間見ることができる。4割返本は当たり前。今や半分近くの書籍が行き場がなくなって裁断されてその一生を終えるのである。裁断するのは出版社自身だ。巷でよく言われる出版業界の闇というのは返本が日常茶飯事となっている状況を指摘しているのではないかと思われる。あまり業界には詳しくないので突っ込んだ議論は避けておく。
リアル書籍が電子書籍に勝る点として意味記憶としての優位性を筆者は挙げている。余白や書体や表紙のデザイン若しくは読んだときの環境と関連付けて意味記憶を形成し易いと筆者は言う。iPad電子書籍は文字の大きさも縦書き横書きも読む者の好みで自在に変更可能だ。こんなものにページ概念など無く、書籍としての意味記憶はどうやって作ろうかと筆者は言う。しかしこれには若干の屁理屈を付与しておきたい。電子書籍を読んだ場合には意味記憶が形成されないのではなく、電子書籍を通じた意味記憶形成の方法を現代人は十分に訓練されていないといった方が正しいだろう。電子書籍を用いた読書のどこに意味記憶を見出すべきかという体験の不足だ。電子書籍を主体としたい方は意味記憶の適切な形成方法を訓練すると宜しかろう。即ち、ディスプレイを通じて文字を読む際に何を読書体験の特徴点として抽出するかが電子書籍時代の「読む技術」となるのである。
とはいってみたところで個人的には電子書籍読書の意味記憶形成を訓練しようとは思わず寧ろリアル読書の方が愉しみが大きいと感じる。それよりも何よりも仕事でPCと睨めっこが当たり前のこのご時世で読書くらいはPCを離れたいのが心情だ。

車体が出来てようやく動いた。


以前から作っているこの車ですが、ようやく車体が出来て動くようになっちょります。

とりあえず車体の写真はこんな感じ。

全体(斜視)



真上から



裏側
コンデンサを後になってからとりつけたのでやたらともっさりしてます。



ギアボックス



車体部品はこんなもん。
[rakuten:digitamin:10026905:detail]
TAMIYA ユニバーサルプレート x1


[rakuten:auc-partsland:10019731:detail]
TAMIYA ボールキャスター(2個入) x1


タミヤ 楽しい工作シリーズ No.167 シングルギヤボックス 4速タイプ (70167)

タミヤ 楽しい工作シリーズ No.167 シングルギヤボックス 4速タイプ (70167)

TAMIYA ギアボックスとモーターのセット x2


TAMIYA タイヤ(2個入) x1


基板拡大

基板の回路図
電源はエネループ4本を直列接続でモーター用電源(4.8V)にして、三端子レギュレータで制御用電源(3.3V)を作ります。
制御用回路にノイズが乗ると嫌なので、コンデンサを適当にかまします。


で、とりあえず動きます。

ソフトの解説はしばしお待ちください。若干、素足が映っているように見えるが気にしたら負けかなと思ってる。


次回以降予定はまずモータードライバ、それからPIC24と開発環境、PWMによる速度調整といったところか。