コーヒー学

コーヒー学入門

コーヒー学入門

「これは一体どういうことだ!?」
風呂から這い上がったルシウス・モデストゥスは叫んだ。
その彼と我々日本人とを繋ぐ接点は一見して風呂文化にあるように思えるが、実はそうではない。真に我々の間にある共通項は未知の技術に対する真摯な探究心である。その探究心とひたむきさに、世界有数の工業国に属する我々日本人は感銘を受け、それを引き金としてローマ風呂文化の世界へと我々は引き込まれていく。
本書を読んだときの感動はそれに近いものがある。よくぞここまでコーヒーに対する探究心を極め溢れんばかりの知識と経験を手に入れたものだ。私は決してコーヒー狂ではないのだが、本書を読み進めるにつれて、筆者のコーヒーに対する並々ならぬ熱意に感銘を受けたのである。
さて、その筆者にコーヒーの焙煎技術について問えばこう答えるだろう。
焙煎されたコーヒー豆は、走査型電子顕微鏡で観察すると微細なハニカム構造となっている。即ち六角形の格子の連続した模様が描き出されるのである。焙煎して何故このような規則正しいハニカム構造を成すのか、それはコーヒー豆の細胞構造を表している。即ち、焙煎して熱が加わった際には、硬い組織である細胞壁が残り、細胞質は燃え尽きるのである。その細胞壁の構造がハニカム構造というわけだ。
そして抽出時にはこのハニカム構造の隙間に湯が入り込むことにより、挽かれた豆から旨味が抽出されるのである。勿論、豆の挽き方の極めて重要であり、適度に粗く、適度に細かく挽き、ハニカム構造が保持されつつも湯に触れる適切な表面積を確保せねばならぬのだ。

ほこ×たて」という人気のテレビ番組をご存知だろうか?
その番組の中では、あるジャンルに精通して常人の域を脱した「マニア」と、そのジャンルのプロフェッショナルとが知識を競い合うという企画が多数ある。対決の序盤、そのマニアの変人・奇人ぶりに我々視聴者は当初は「若干キモッ」という念を抱く。だが、その対決を見続けるにつれ、マニアはその道を生業とするわけでもないはずであるのに、前述のローマ人に比類する如き探究心の片鱗を見せ付けるのである。そして対決が進行するにつれて当初の「若干キモッ」の念は常人を超越するために人生の数多の時間を費やしてきたマニアに対する尊敬へと変化する。そして対決終盤では探求を極める悦びを、マニアとプロフェッショナルと視聴者とが共有して感動のフィナーレを迎えるのである。
本書を読み進めたとき、私はそれと同種の感動を覚えた。確かに中盤では「若干キモッ」の念が頭をよぎったものの、本書を読み終わるころにそれは尊敬の念へと昇華されていたのである。
さて、その筆者にコーヒーの歴史について問えばこう答えるだろう。
現在は世界的に愛好されているコーヒーだが、もとはイスラム教徒の飲み物であった。
それがインドに持ち出されたのをきっかけとして、宗主国オランダによってヨーロッパに広まった。
しかし、ヨーロッパに伝来した当初は、「コーヒーは悪の異教徒であるイスラム教徒の飲み物であり、キリスト教徒がそれを飲むことは、悪魔がキリスト教徒の魂を取ろうとして仕掛けた罠に陥るものである」と時のローマ法王であるクレメンス8世に訴えかける宣教師がいたのである。だが、好奇心旺盛な法王は、これを飲み、叫んだ。「この悪魔の飲み物、あまりにも美味なり!異教徒に飲ませるには惜しき異なり!悪魔を欺かん!これに先例を施し、新のキリスト教徒の飲み物にせん!」
これがかの有名な、クレメンス8世が1605年に行ったコーヒー洗礼である。この年代以降はキリスト教徒もおおっぴらにコーヒーを飲めるようになった。
日本には1700年頃に長崎の出島を介して持ち込まれているが、苦くて飲むにあたはずとして広まることはなかった。日本には茶という嗜好飲料があり、また肉食文化にもなじみがなかったことから、コーヒーの味にはなじめなかったのである。このころ、最も日常的にコーヒーを味わっていた日本人は、出島に出入りしていた遊女ではなかったかといわれている。しかし、日本でも1854年の開国を機に西洋文化が入り込み、コーヒーの味になじんでいったのである。
さて、我々凡人が、一日の業を終えて風呂に入って体の疲れを癒そうとするとき、コーヒー狂の筆者はその日飲んだコーヒーの記憶を反芻することだろう。記憶から引っ張り出したコーヒーの味・香りを用いて脳内で官能試験のシミュレーションを繰り返し行うに違いない。極めるとはまさにこのことだろう。普通の人間がコーヒーが好きだというとき、その熱意は筆者の足元にも及ばぬことだろう。