戦前と土木のお話(1)

先日は余暇を持余すあまり、突然の思い付きにて広島〜呉行脚に行ってきた。

さて写真は呉で定番の大和ミュージアムである。広島市内の平和記念館があまりにも主義主張に一貫性が無く要するにぐだぐだ啓発的な内容だったので大和ミュージアムは如何なものかと期待していたら、戦前の製造業の集大成とも言うべき大和の完成度の高さに驚かされる。つい先日には大和の部品である太陽炉が新エネルギーの研究に利用されるというニュースがあり世間の注目を集めたが、太陽炉以外にも画期的な技術が多数導入されたという解説がなされていた。

参考:太陽熱でマグネシウム電池再生宮崎の東北大施設で研究

大和ミュージアムにおける主張は「大和を作った戦前の日本の技術が如何に素晴らしいものであったか」ということである。そしてその集大成が大和であり、今日の日本の技術の基盤でもある、とその主張は帰結する。
というわけで戦前の日本を論じた本を二冊ほど入手したので書評を始めてみようと思う。

戦前の国土整備政策

戦前の国土整備政策

一冊目。表紙をめくると時代は明治維新である。物語の出発点は東京遷都であった。首都選定にあたり、地理的に候補となりうる土地は2つしかなかった。即ち、東京若しくは大阪である。利根川水系の広大な沖積低地に属する関東平野か、第五位の沖積低地面積でありながらも琵琶湖の存在により豊富な推量を湛える大阪平野か、と2つの候補地が挙げられた。当時は大阪が物資輸送の全国ターミナルであり日本経済の中心であった。しかし横浜港の国際貿易上の重要性を鑑みて、東京が首都と定められた。内務卿大久保利通の判断である。
それを起点として、鉄道、電信・電話、河川・水利、築港・道路、上下水道といった社会基盤の整備が国家プロジェクトとして推進されていったのである。これらの社会基盤による近代化が、日清・日露戦争の勝利にも繋がっていったのである。更には第一次世界大戦でヨーロッパの先進工業諸国が主戦場となる中で日本経済は漁夫の利により活況を呈した。重化学工業が発展し、京浜、阪神、中京、北九州といった四大工業地帯が形成されたのである。
時代は進み1923年、関東大震災にて日本経済は打撃を受け、不況の時代へと突入する。追い討ちをかけるように、1927年金融恐慌、1929年ニューヨーク・ウォール街での株式大暴落が起こる。
さてそのとき経済政策はどうか。31年2月には高橋是清が大蔵大臣に就任する。日本経済は金本位制度から脱却し、管理通貨制度に移行し積極的な財政支出を行う方針に転換した。軍事支出、及び32年〜34年に行われた時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)により財政支出は拡大する。この時局匡救事業は積極的な公共投資によって景気回復を図るというケインズ政策を先取りしたものとして評価されている。だがその一方で「『道路が村はずれで行き止まりになっていたり、半分彫りかけの用水路が残骸を曝すというようなことも多かったようである』との批判も見られる(本書P42)」とも書かれている。
この事業では産業インフラとしての道路の整備が全体額の6割弱を占め、そのうちの1/3が国道整備事業であった。またその他河川や港湾を整備する事業が行われた。この事業は全国津々浦々で実施された。当該事業の評価だが、景気は32年度から回復基調となり農村の景気回復に貢献したと本書では評価されている。
景気は35年ごろから立ち直り、大陸における軍事活動を背景として重化学工業の発展が課題となった。重化学工業の動力源として、且つ国家による経済統制のための電力の国家管理として水力開発が最重要課題として浮上する。工業用水と電力確保、生活用水といった広範な目的を達成するために河水統制事業及び電力国家管理方が成立した。勿論これには米国のTVAに代表される欧米の事例が大きな影響を与えた。実際のダム施工にあたっては、米国の技術を学びながら米国から重機械を購入することで進められた。
本書の後半は戦後の社会基盤整備についても触れ、戦前との連続性について言及している。例えば、「高度経済成長を支えた臨海部の埋立地を中心とする工業地帯の整備も、戦前、すでに計画されていた。(本書P345)」とあるし、「また輸送面における高速鉄道(新幹線)、高速道路も構想の段階にとどまらず詳細な計画が寝られ、部分的にだが高速鉄道は着工され、高速道路は実施調査が行われていた。(本書P345)」とある。戦後はアメリカから導入された銃土木施工機械でもって戦前の知恵をおいしく頂いたに過ぎないのである、と筆者は言う。このように筆者は敢えて皮肉じみた表現を用いているが、戦前と現代との間の連続性が世間に正しく認知されていないという歯痒さの表れのように見える。
上述の通り、本書は大久保利通の国土計画から始まって、その後は高橋是清の政策に力点が置かれている。治水や交通といった基本的なインフラが社会基盤が如何に重要であるかということを認識させられる。社会基盤無くしては社会活動は有り得ないのである。このことはOSI参照モデルを思い起こさせる。要するに治水やらの土木事業は古臭い旧世代的な印象を与えるが、OSI参照モデルで言えばの下層に位置するものであり、そういった社会インフラ無くしては情報産業やらの最先端も成り立たないわけだ。

余談だが、田中角栄高橋是清でググってみた。共通点を見出している論説は多いようだ。

まだまだ続く。

続編へ